Jul 19, 2009

疣は、血液の循環が悪いことが容易であるという話

私は体質的なことが多いですが、自分の身体を見る度に、モルのないきれいな身体を持ったモデルさんに憧れてしまいますね。カマキリは、聞いた話は、体内の血液循環が悪く、多くのことだろうそう、そういえば私も思い当たるところがあるとその言葉を聞いたとき、妙に納得したことがあります。
汚れにはいろいろな種類があるとされていますが。 30代から40代に多く見られる汚れとシミがあります。シミは治療が難しい汚れも呼ばれます。シミは女性ホルモンと関係があるとされ、妊娠などによってさらに悪化するものとします。対称に頬や鼻の下のようなあいまいなの汚れとなっています。
【こだわり旅物語】

 何の変哲もない浅瀬だった。その平凡さが大航海者のあっけない最期にふさわしいように思えた。人類初の世界一周を成し遂げたとされるマゼランだが、スペインに戻ったのは部下であり彼自身は道半ばで命を落としている。マゼランがフィリピンに残したものを求め、終えんの地となったセブと植民地政府が置かれたマニラを訪ねた。(文 坂本英彰)

 ◆マゼランの最期

 筋骨隆々の像が海に向かって起立していた。

 セブ市と橋でつながったマクタン島にあるのはマゼランではなく、彼を倒した地元の英雄ラプラプだ。

 1521年の戦いを描いた想像画を、少年が食い入るように見つめていた。膝下ほどの浅瀬でマゼランは、相手の一撃を避けようと頭を下げている。“次の場面では海中に倒れている”と、予感させる一瞬だ。

 抜群の統率力で苦難を乗り越えてきた司令官にしてはあまりに軽率な行動であったと、歴史書は伝える。

 セブ市中心部にドームで覆われた木製の十字架が建っていた。「マゼランクロス」だ。セブのフマボン王と王妃が、ここで洗礼を受けたとされる。この地に一歩を記したマゼランらが、天井に描かれていた。王に続き、臣下や住民が続々とキリスト教徒になった。

 フマボン王に敵対する小豪族ラプラプは、そんな流れに逆らった。マゼランは掣肘(せいちゅう)を決意した。沖合のカヌーで見守るフマボン王に手出しせぬように言い、甲冑で固めた60人ほどの手勢を率いて上陸した。

 〈こんな裸の子ども相手なら、よい武器を持ち、よい甲冑をつけたスペイン人たった一人で、百人も楽々とあしらえることを眼に見せてやろうとした〉(ツヴァイク著『マゼラン』より)

 しかし千人の兵を率いたラプラプは珊瑚(さんご)礁や地形を巧みに利用し、甲冑をつけて重々しく動くマゼランらを追い詰めた。

 〈西洋人を撃退した最初のフィリピン人〉

 ラプラプの説明板にはそう書かれていた。

 ◆独立運動支え

 フィリピンの国づくりに関し、もうひとり忘れてはならない英雄がいる。19世紀末のスペインからの独立に際し、人々の精神的な支柱となった医師で作家のホセ・リサール(1861〜96)だ。

 直立不動の衛兵が監視するリサール記念像は、マニラ市にある。

 裕福な家庭に生まれたリサールはスペインに留学してフィリピン人の意識に目覚め、彼が書いた詩や文は人々を鼓舞し、独立運動に火をつけた。

 「彼は目が見えない病にかかった母を治療し、再び見えるようにしたのですよ」。どこか神がかり的な逸話を、タクシー運転手は畏敬の念をこめて語った。

 リサールが植民地政府に捕らえられ尋問を受けた建物が、いまは博物館として公開されている。ガイドのギルバート・スウィンさん(35)は「彼はフィリピン人の誰もが尊敬する英雄なのです」と説明した。

 ◆カトリックの国

 市内にある壮麗なサンアグスチン教会で、人々が祈りを捧げていた。「洗礼を受けた初のフィリピン人」であるフマボン王と王妃に始まるキリスト教化は、やがてアジア最大のカトリック国を生み出した。

 いまフィリピンと呼ばれるあたりはマゼラン以前、統一的な国家のない、島々だった。地球の裏側から来た男が歴史を変えた。500年後のフィリピンを見たとしたら、彼はどんな思いを抱くだろうか。

 【メモ】セブ

 ダイビングのメッカとしても知られるリゾート地。セブ島のセブ市と橋で結ばれたマクタン島に国際空港があり、ホテルも集中している。ラプラプの像は、マゼランとの戦いが行われた島の北東側にある。

 【フィリピンへのアクセス】 関西国際空港からマニラまで、フィリピン航空とセブパシフィック航空が就航。所要約4時間。セブへはさらに国内線に乗り継ぎ、所要約1時間。

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 東日本巨大地震の被災者のための仮設住宅の建設が28日、宮城県石巻市や気仙沼市など同県内12か所で始まった。

 30日に着工する登米市を含めて計1110戸が建てられる予定で、4月末までに入居できるよう工事を進める。

 石巻市向陽町の空き地では、午前8時半から建設会社の作業員30人がトラックで機材を運んだり、木のくいを打ち込んだりしていた。

 工事を見に来た近所の主婦(47)は「希望の光が見え始めた。避難所の人には、早く暖かい場所で生活を送ってほしい」と話した。

 同県内では27日現在、601か所で8万1592人が避難所生活を余儀なくされており、高齢者や妊婦などから優先的に入居してもらうという。

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